漫画家・かかし朝浩の公式ブログです。
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サイン会終了。ただいま戻ってまいりました。
70名もの方々に来ていただきまして、まことに有難うございました。終始和やかに落ち着いた雰囲気で進み、終わったときは「あれ?もう?」という感じ。
お買い上げいただいた皆さん、またZINのスタッフの方々、担当氏にも重ねて感謝を申し上げます。
ちなみに、キャラリクエストを受けてイラストを入れさせていただいたんですが、一番人気はダントツで少納言。半分ぐらいで紫が続き、三番手に彰子。
お気に入りキャラよりも「せっかくだから少納言で」とか、「5巻だから彰子で」などの選択をされた方が結構多く、キャラ単体より作品全体を味わって貰えている気がして嬉しい限りです。
機会があればまたやらせて頂きたいですが、そこらへんは売れ行きしだいというところでもありますので、是非今後とも宜しくお願いいたします。w
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サイン会お疲れ様でした
私の順番は最後の方だったのですが、大盛況のようでしたね!
第5巻、彰子大きくなりましたね、特に肉体面。
というわけで、彰子をリクエスト申し上げようか悩んだのですが、個人的に注目している右近内侍に致しました。ちょっとお堅い男装の麗人に密かに期待しております(^^)
それとレビューをお受け取り下さり、ありがとうございました。
これからのより一層のご活躍、お祈り申し上げます。
第5巻、彰子大きくなりましたね、特に肉体面。
というわけで、彰子をリクエスト申し上げようか悩んだのですが、個人的に注目している右近内侍に致しました。ちょっとお堅い男装の麗人に密かに期待しております(^^)
それとレビューをお受け取り下さり、ありがとうございました。
これからのより一層のご活躍、お祈り申し上げます。
どうもでした
レビューも含めて有難うございました。
モタモタ描いてたので1時間近く押してしまいましたが、満足いただけたら幸いです。
右近は一条帝まわりのエピソードをやるには欠かせない人なので、今後も色々出てもらうことになると思います。ご期待下さい。
モタモタ描いてたので1時間近く押してしまいましたが、満足いただけたら幸いです。
右近は一条帝まわりのエピソードをやるには欠かせない人なので、今後も色々出てもらうことになると思います。ご期待下さい。
初めまして
初めまして。たまたま「この少女、いとツンデレなり」というキャッチフレーズと、表紙絵と更に枕草子という着眼点に惹かれて、二巻くらいから「暴れん坊少納言」買い始めたMya(みゃ)と申します。それ以来、「暴れん坊少納言」にぞっこんで御座います。
サイン会ですかー。東方に上方はそういう催しが多く、実に羨ましいです。東海道新幹線すら当初は停車予定駅に含まれていなかった土地の人間としては、尚更に御座いますよ。この歳となっては今更ですが自分の生まれた土地柄が非常に好ましいのですが、一方で同じ県でも三州と尾州とで此程までに人格が異なる県も珍しかろうというのが個人的な感想です。更に三河と吉田(豊橋)でも相当に差異がある一方で濃尾平野の名が示すとおり、実は美濃との親和性の方が高かったりします。釉薬を国内で初めて乗せた瀬戸焼の瀬戸、六古窯のうちでも特に独特な色合いが強い常滑、そして実は全国陶器出荷量の大半を占める美濃焼の土岐・瑞浪がある時点で既にありがたやーなんですが、そこに徳川美術館と岡崎資料館、大垣城に犬山城、同じく全国刃物出荷量の大半を占める関があるのでもうご馳走様です。もう少し脚を伸ばせば、木曽の杉と檜で有名な木曽福島や南木曾の曲げ物がありますし、食文化の上でも丁度、伊勢に至る伊勢道、鈴鹿を越える紀州道、東海道に中山道をいわずもがなとした地勢はよくも今日は東に西にと文化が傾くものです(白醤油がベースの鰹出汁風味なきしめんなんて、美味しいのですけど果たして存在して良いのでしょうか?←一応、「本物のきしめん」は熱田の宮で食べられる宮きしめんが代表です。名古屋城内でも同じ味付けのものが食せますが、汁が真っ黒です。どちらも食べられるのが尾張人の珍しいところ?)。食文化に於いてはワインビネガーのようにわざわざ酒を酢酸菌で酢に変えずとも、酒粕から酢の醸造法を見つけ出したミツカンに、本味醂も実は三河が本場。八丁味噌は三河ですが、実は三州に尾州、共に麹まで大豆を使用した豆味噌なので三河だろうが尾張だろうが味噌は真っ赤っか。河口堰が出来て天然物が厳しくなりましたが、長良川といえば鰻に鮎、アマゴの名産地です。郡上八幡には宗祇の逸話も残っておりますし、文化面でも相当に楽しいですよ(最近は初代天草代官の兄で、三河旗本ながら曹洞宗の僧として出家して、天草領民の心理的ケアにあたった鈴木正三禅師についての著書を読んでおります)。欠点らしい欠点といえば、寺社が若干、少ないかなというのは個人的な感想ではありますが(笠寺観音に鳳来寺山くらいでしょうかね? 全国的にもそこそこ有名なのは)、やはり、伊勢に比べれば熱田は小さいですしねー。それに一宮は熱田ではなく真清田神社ですし、お隣の南宮大社の方が立派ですしね。
伊勢神道で伊勢が本山。出雲神道なら出雲が本山。というわけで土地柄、伊勢参りはかなりしましたが、その割に富士浅間神社とか白山比め神社ですとか、色々とまだ行っていないのですけれど! せめて高速道にカバーされている寺社は訪ねておきたいですねー。電車で南アルプスへとあれだけアプローチしておきながら、武田神社も見延山もかなり平気で素通りしていますし……。
まぁ、昔はラジオに文化放送が入らない、同人即売会が全く開かれないという二点に頭痛が集約されていたのですけれど……。インターネットなどというものがないローティーン故の過ちです。
と、それは置きますとして、おしもなべてもサイン会、お疲れ様でした。私個人の性格は枕草子よりも断然、方丈記なのですが(尾張育ちの禅宗徒といったら最悪の組み合わせです)、だからこそ少納言のあの気っ風の良さは見ていて実に気持ちが良いです。しかし、一番好きなのは実は宰相さんだったり! 宰相さんも少納言とは別の方面でいとツンデレな気がしますよ。普段の腹に一物秘めた笑顔も素敵(?)なのですが、そんな人だからこそ時折見せる心からの笑顔や、素直になれない照れ隠しの仕草、そんなところにたまらなくニヨニヨしてしまいます! しかもこっそり隠れて人形遊びが趣味。何処までツボなんですかこのお方は!(しかし、少納言をいびっていた人という話なので、その辺りはかかし先生の描写が業有りということでしょう。英才で知られた藤原系の肝煎り紫式部ですら、日記にいびられたと書いてありますしねぇ……。何時の世も女性のいじめは怖いです……)
男性面では、霊験なら陰陽道よりも修験道だろうという私のひね曲がった人間性が影響してか、かかし先生の描かれる阿倍晴明天文博士が大好きです。ていうか、ああいう人間コンピューターな先生、私の母校にいましたよ。しかも凄い健脚で、テント装備を担いで歩けた全盛期に於いてすら、歩行速度で敵いませんでした……。干支が一回りするくらい、文字通り一回りほど歳が離れているというのに! しかも背が高くて背筋がピンとして柔和な笑顔で知的で、ナイス・シルバーとはああいう男性をいうんでしょうねぇ……。
あ、御所は今年の今上天皇金婚記念の特別公開でがっつりと見てきました。紫宸殿でかー! って本気で吃驚しましたよ。特別公開ということで春秋の一般公開では見せていただけないような所も拝観できまして、おお、これが梅壺かと、感動も一入です。明治天皇の時代までは、あの屋敷が実際に使われていたのですねぇ……。しみじみ。一条天皇もそんな感じだったのでしょうかね?
しかし今更ですが、則光の橘氏って、平安京が貴族文化で固まっている頃は、既にそこまで弱小だったのですねぇ……。源氏平氏藤原系に橘氏、日本四大姓といわれる橘氏が、うーむ……。当時の「結婚」というのもよく分からないので、やはり主に縁組という一族の連結が主であったのでしょうかね? 則光も内裏では礼服に合わせた切刃造の直刀を佩いておりますが、やはり貴族なので、同時代に打たれた大包平などの古備前刀は持ちようがないですかね? 入内用は例外なく装飾用の直刀ですか。
当時のお武家様といいますと、初代征夷大将軍は坂上田村麻呂なわけですが、この時代の武家のあり方が今一つ分からなく、平氏が公家社会を牛耳り、その対抗として源氏が武家の統領となった辺りからくらいしかはっきりしたことが分かりません……。則光も貴族ですし、武家政権と公家政権が互いにカウンターパートとして機能し出すと、私も分かりやすいのですが、この時代の貴族一辺倒は政治の内容も法律も軍隊組織構造もさっぱりです。
そういう意味では、あくまで伝承の上ですが「自称鬼姫」であるこの彰子、坂上田村麻呂が娶ったとされる鈴鹿御前は(正室は三善清継娘・高子だそうです)、鈴鹿山系で悪行を働いていた、正真正銘の鬼姫なので(一度、夫である悪路王と共に斬り殺された鈴鹿御前は、後に天界で仏教に帰依して天女として生まれ変わり、改めて坂上田村麻呂と夫婦の契りをかわして末永く暮らしました、というのが私の読んだ文献ですね)、平将門の娘である滝夜叉姫など、やはり伝承になるのは武家の故事の方が多いようです(膝丸ですとか童子切安綱ですとか四天王寺の七星剣ですとか、この国は神話上の剣が現存しすぎなのですよ!)。一方で内裏の貴族文化というものはほんっきで門外漢なので、「暴れん坊少納言」は実に有り難く読ませていただいております。今でも宮中で催される連歌会などは、あんな感じなのでしょうねぇ……。お題に対して即座に歌を作り、それに返すなんて凄まじすぎます。
というわけで、かかし先生の「暴れん坊少納言」は半ば、バイブルと化しております。則光と諾子の仲も、相変わらず丁々発止のようですから、いっそ則光が誰かに言い寄られるでもしないと、あの二人は好い加減、腐れ縁で終わりそうな気がしますねw 逆に諾子は定子付きの女房ですし、才女としての誉れも高いわけで、引く手は数多なのではないでしょうか?(清原家の立ち位置がよく分からないので、如何ともし難いです) そうだとすれば、則光は割とあっさり身を引きそうで……。
というわけで、作中で一番、好きなのは宰相さんですが、この二人はがちで応援させていただきます。え、宣孝? 宣孝は既に藤式部の掌ではないのですか?
それでは長文、失礼いたしました。これからもガムの連載を楽しみにしております。
サイン会ですかー。東方に上方はそういう催しが多く、実に羨ましいです。東海道新幹線すら当初は停車予定駅に含まれていなかった土地の人間としては、尚更に御座いますよ。この歳となっては今更ですが自分の生まれた土地柄が非常に好ましいのですが、一方で同じ県でも三州と尾州とで此程までに人格が異なる県も珍しかろうというのが個人的な感想です。更に三河と吉田(豊橋)でも相当に差異がある一方で濃尾平野の名が示すとおり、実は美濃との親和性の方が高かったりします。釉薬を国内で初めて乗せた瀬戸焼の瀬戸、六古窯のうちでも特に独特な色合いが強い常滑、そして実は全国陶器出荷量の大半を占める美濃焼の土岐・瑞浪がある時点で既にありがたやーなんですが、そこに徳川美術館と岡崎資料館、大垣城に犬山城、同じく全国刃物出荷量の大半を占める関があるのでもうご馳走様です。もう少し脚を伸ばせば、木曽の杉と檜で有名な木曽福島や南木曾の曲げ物がありますし、食文化の上でも丁度、伊勢に至る伊勢道、鈴鹿を越える紀州道、東海道に中山道をいわずもがなとした地勢はよくも今日は東に西にと文化が傾くものです(白醤油がベースの鰹出汁風味なきしめんなんて、美味しいのですけど果たして存在して良いのでしょうか?←一応、「本物のきしめん」は熱田の宮で食べられる宮きしめんが代表です。名古屋城内でも同じ味付けのものが食せますが、汁が真っ黒です。どちらも食べられるのが尾張人の珍しいところ?)。食文化に於いてはワインビネガーのようにわざわざ酒を酢酸菌で酢に変えずとも、酒粕から酢の醸造法を見つけ出したミツカンに、本味醂も実は三河が本場。八丁味噌は三河ですが、実は三州に尾州、共に麹まで大豆を使用した豆味噌なので三河だろうが尾張だろうが味噌は真っ赤っか。河口堰が出来て天然物が厳しくなりましたが、長良川といえば鰻に鮎、アマゴの名産地です。郡上八幡には宗祇の逸話も残っておりますし、文化面でも相当に楽しいですよ(最近は初代天草代官の兄で、三河旗本ながら曹洞宗の僧として出家して、天草領民の心理的ケアにあたった鈴木正三禅師についての著書を読んでおります)。欠点らしい欠点といえば、寺社が若干、少ないかなというのは個人的な感想ではありますが(笠寺観音に鳳来寺山くらいでしょうかね? 全国的にもそこそこ有名なのは)、やはり、伊勢に比べれば熱田は小さいですしねー。それに一宮は熱田ではなく真清田神社ですし、お隣の南宮大社の方が立派ですしね。
伊勢神道で伊勢が本山。出雲神道なら出雲が本山。というわけで土地柄、伊勢参りはかなりしましたが、その割に富士浅間神社とか白山比め神社ですとか、色々とまだ行っていないのですけれど! せめて高速道にカバーされている寺社は訪ねておきたいですねー。電車で南アルプスへとあれだけアプローチしておきながら、武田神社も見延山もかなり平気で素通りしていますし……。
まぁ、昔はラジオに文化放送が入らない、同人即売会が全く開かれないという二点に頭痛が集約されていたのですけれど……。インターネットなどというものがないローティーン故の過ちです。
と、それは置きますとして、おしもなべてもサイン会、お疲れ様でした。私個人の性格は枕草子よりも断然、方丈記なのですが(尾張育ちの禅宗徒といったら最悪の組み合わせです)、だからこそ少納言のあの気っ風の良さは見ていて実に気持ちが良いです。しかし、一番好きなのは実は宰相さんだったり! 宰相さんも少納言とは別の方面でいとツンデレな気がしますよ。普段の腹に一物秘めた笑顔も素敵(?)なのですが、そんな人だからこそ時折見せる心からの笑顔や、素直になれない照れ隠しの仕草、そんなところにたまらなくニヨニヨしてしまいます! しかもこっそり隠れて人形遊びが趣味。何処までツボなんですかこのお方は!(しかし、少納言をいびっていた人という話なので、その辺りはかかし先生の描写が業有りということでしょう。英才で知られた藤原系の肝煎り紫式部ですら、日記にいびられたと書いてありますしねぇ……。何時の世も女性のいじめは怖いです……)
男性面では、霊験なら陰陽道よりも修験道だろうという私のひね曲がった人間性が影響してか、かかし先生の描かれる阿倍晴明天文博士が大好きです。ていうか、ああいう人間コンピューターな先生、私の母校にいましたよ。しかも凄い健脚で、テント装備を担いで歩けた全盛期に於いてすら、歩行速度で敵いませんでした……。干支が一回りするくらい、文字通り一回りほど歳が離れているというのに! しかも背が高くて背筋がピンとして柔和な笑顔で知的で、ナイス・シルバーとはああいう男性をいうんでしょうねぇ……。
あ、御所は今年の今上天皇金婚記念の特別公開でがっつりと見てきました。紫宸殿でかー! って本気で吃驚しましたよ。特別公開ということで春秋の一般公開では見せていただけないような所も拝観できまして、おお、これが梅壺かと、感動も一入です。明治天皇の時代までは、あの屋敷が実際に使われていたのですねぇ……。しみじみ。一条天皇もそんな感じだったのでしょうかね?
しかし今更ですが、則光の橘氏って、平安京が貴族文化で固まっている頃は、既にそこまで弱小だったのですねぇ……。源氏平氏藤原系に橘氏、日本四大姓といわれる橘氏が、うーむ……。当時の「結婚」というのもよく分からないので、やはり主に縁組という一族の連結が主であったのでしょうかね? 則光も内裏では礼服に合わせた切刃造の直刀を佩いておりますが、やはり貴族なので、同時代に打たれた大包平などの古備前刀は持ちようがないですかね? 入内用は例外なく装飾用の直刀ですか。
当時のお武家様といいますと、初代征夷大将軍は坂上田村麻呂なわけですが、この時代の武家のあり方が今一つ分からなく、平氏が公家社会を牛耳り、その対抗として源氏が武家の統領となった辺りからくらいしかはっきりしたことが分かりません……。則光も貴族ですし、武家政権と公家政権が互いにカウンターパートとして機能し出すと、私も分かりやすいのですが、この時代の貴族一辺倒は政治の内容も法律も軍隊組織構造もさっぱりです。
そういう意味では、あくまで伝承の上ですが「自称鬼姫」であるこの彰子、坂上田村麻呂が娶ったとされる鈴鹿御前は(正室は三善清継娘・高子だそうです)、鈴鹿山系で悪行を働いていた、正真正銘の鬼姫なので(一度、夫である悪路王と共に斬り殺された鈴鹿御前は、後に天界で仏教に帰依して天女として生まれ変わり、改めて坂上田村麻呂と夫婦の契りをかわして末永く暮らしました、というのが私の読んだ文献ですね)、平将門の娘である滝夜叉姫など、やはり伝承になるのは武家の故事の方が多いようです(膝丸ですとか童子切安綱ですとか四天王寺の七星剣ですとか、この国は神話上の剣が現存しすぎなのですよ!)。一方で内裏の貴族文化というものはほんっきで門外漢なので、「暴れん坊少納言」は実に有り難く読ませていただいております。今でも宮中で催される連歌会などは、あんな感じなのでしょうねぇ……。お題に対して即座に歌を作り、それに返すなんて凄まじすぎます。
というわけで、かかし先生の「暴れん坊少納言」は半ば、バイブルと化しております。則光と諾子の仲も、相変わらず丁々発止のようですから、いっそ則光が誰かに言い寄られるでもしないと、あの二人は好い加減、腐れ縁で終わりそうな気がしますねw 逆に諾子は定子付きの女房ですし、才女としての誉れも高いわけで、引く手は数多なのではないでしょうか?(清原家の立ち位置がよく分からないので、如何ともし難いです) そうだとすれば、則光は割とあっさり身を引きそうで……。
というわけで、作中で一番、好きなのは宰相さんですが、この二人はがちで応援させていただきます。え、宣孝? 宣孝は既に藤式部の掌ではないのですか?
それでは長文、失礼いたしました。これからもガムの連載を楽しみにしております。
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