漫画家・かかし朝浩の公式ブログです。
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ちょっとネーム遅れ気味なのを取り返すため、ランチ時から近所のファミレスにカンヅメ。
周囲の視線があると緊張感が抜けないし、かといって誰も顔見知りってワケではないのでビシッと仕事に向かえます。
順調にこなし、一旦買い物をして更にミスドへ篭ろうと思ったんですが…
描きかけのネーム忘れてきた
…最悪です。
暫く家で掃除したりメシ炊いたり、時間を潰して店員のシフトが入れ替わるまで待ってから、ようやく取りに行きました。
しかし考えてみたら、自分が何を忘れたか知ってる人の方が「ああ、アレですね」で済むわけで。
別のシフトの人には「漫画の描きかけの原稿を忘れたんですが」と説明する必要があるので余計恥ずかしい、と気付かなかった自分に対して更に凹みました。
でも翌日も同じ店で作業。だって安いし居心地いいんだもん。
…若干悪くなったけど、それは店員や店のせいじゃないですし。
周囲の視線があると緊張感が抜けないし、かといって誰も顔見知りってワケではないのでビシッと仕事に向かえます。
順調にこなし、一旦買い物をして更にミスドへ篭ろうと思ったんですが…
描きかけのネーム忘れてきた
…最悪です。
暫く家で掃除したりメシ炊いたり、時間を潰して店員のシフトが入れ替わるまで待ってから、ようやく取りに行きました。
しかし考えてみたら、自分が何を忘れたか知ってる人の方が「ああ、アレですね」で済むわけで。
別のシフトの人には「漫画の描きかけの原稿を忘れたんですが」と説明する必要があるので余計恥ずかしい、と気付かなかった自分に対して更に凹みました。
でも翌日も同じ店で作業。だって安いし居心地いいんだもん。
…若干悪くなったけど、それは店員や店のせいじゃないですし。
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原稿明けに更新するつもりが、翌日すぐに友人の手伝いに向かい、更にその仕事が予定より2日も延長してしまったために10日以上放置してしまいました。なんかもう資料漁りもままなりません。
たまにはガッチリと4~5日かけてCGを描いてみようかなと思い立つも、休みを速攻で使い切ってしまったので、こんなものでお為ごかし。MIXIのアイコン用です。
現在、少納言の連載に1ヶ月のほとんどを費やしていますが、他社からのお誘いも僅かながら頂いています。
しかしこの「合間」で読みきりを描いて、果たして先方の期待に応えられるだけのクオリティを出せるかと思うと、どうしても及び腰になってしまいます。
一本の作品に賭けるのは一見カッコイイようでいて、色々と弊害も孕んでいます。特に、描ける作風が狭まっていくのは連載している作品自体にも良くありません。
と言って今より少ない労力でメインの作品の質をキープできるかも未知数。
ちょっと考える時期に来ているのかもしれませんね。
たまにはガッチリと4~5日かけてCGを描いてみようかなと思い立つも、休みを速攻で使い切ってしまったので、こんなものでお為ごかし。MIXIのアイコン用です。
現在、少納言の連載に1ヶ月のほとんどを費やしていますが、他社からのお誘いも僅かながら頂いています。
しかしこの「合間」で読みきりを描いて、果たして先方の期待に応えられるだけのクオリティを出せるかと思うと、どうしても及び腰になってしまいます。
一本の作品に賭けるのは一見カッコイイようでいて、色々と弊害も孕んでいます。特に、描ける作風が狭まっていくのは連載している作品自体にも良くありません。
と言って今より少ない労力でメインの作品の質をキープできるかも未知数。
ちょっと考える時期に来ているのかもしれませんね。
最近、「感動の力学」(勝手にこう呼んでます)というものをよく考えます。
何のことはない、単に「どういうものにたいして人が感動するのか」の原理を再確認してるだけなんですけどね。むしろ何で今さらやってんのかという気もしますが。
「感動」というと大きなインパクトやショックを思い浮かべますが、「面白い」とか、「ふーん」と一瞬でも関心を持てばソレは一応「感情の動き」であると思うわけです。その中での「K点越え」を果たしたものが、世間一般での「感動した」と言われるモノであり…
とか、まあこういう具合です。うっとおしいですね(w
気付いた中でこれは重要だなと思ったのは「ダメな問いかけ」は避けなければいけない、って事です。
例えば「人間の手の指の中で、関節が一番長いのは親指である」という豆知識。
これを作品中に出して「へー」と思ってもらうためには、一度「一番長い指は中指」という固定概念を再認識してもらう必要があります。「一番長い指って親指なんだって」と唐突に切り出しても、聞かされた方は「は?」でしょう。
※むろん、その唐突な切り出しを使ってインパクトを与える手法は場合により有効だったりしますが。
しかし、下手な教師のごとく「一番長い指ってなーんだ?」とやってしまうと、問いかけられた側は「ああ、多分中指じゃないんだろうけど、こいつはこの後それを指摘して勝ち誇るんだろうな」と言うところまで誰でも想像つきます。こういうのは「ダメな問いかけ」として避けていかなければな、と。
自分が偶然知りえて、相手が知らない知識。
それを伝える事によって「面白い」と思ってもらうのが、知識系作品に問われる根幹部分でありましょう。
「ああそう、センセイは頭がよろしくていらっしゃいますね」と思われては何にもなりません。大体、普通の人はわざわざ資料や専門書を漁るほど暇じゃないわけですから、知らないのが当たり前。
そういう「ひけらかし」にならないよう、気をつけて行きたいと思います。
※今、猛烈にこのエントリ自体が「ひけらかし」であるような気がしてきてますが…
何のことはない、単に「どういうものにたいして人が感動するのか」の原理を再確認してるだけなんですけどね。むしろ何で今さらやってんのかという気もしますが。
「感動」というと大きなインパクトやショックを思い浮かべますが、「面白い」とか、「ふーん」と一瞬でも関心を持てばソレは一応「感情の動き」であると思うわけです。その中での「K点越え」を果たしたものが、世間一般での「感動した」と言われるモノであり…
とか、まあこういう具合です。うっとおしいですね(w
気付いた中でこれは重要だなと思ったのは「ダメな問いかけ」は避けなければいけない、って事です。
例えば「人間の手の指の中で、関節が一番長いのは親指である」という豆知識。
これを作品中に出して「へー」と思ってもらうためには、一度「一番長い指は中指」という固定概念を再認識してもらう必要があります。「一番長い指って親指なんだって」と唐突に切り出しても、聞かされた方は「は?」でしょう。
※むろん、その唐突な切り出しを使ってインパクトを与える手法は場合により有効だったりしますが。
しかし、下手な教師のごとく「一番長い指ってなーんだ?」とやってしまうと、問いかけられた側は「ああ、多分中指じゃないんだろうけど、こいつはこの後それを指摘して勝ち誇るんだろうな」と言うところまで誰でも想像つきます。こういうのは「ダメな問いかけ」として避けていかなければな、と。
自分が偶然知りえて、相手が知らない知識。
それを伝える事によって「面白い」と思ってもらうのが、知識系作品に問われる根幹部分でありましょう。
「ああそう、センセイは頭がよろしくていらっしゃいますね」と思われては何にもなりません。大体、普通の人はわざわざ資料や専門書を漁るほど暇じゃないわけですから、知らないのが当たり前。
そういう「ひけらかし」にならないよう、気をつけて行きたいと思います。
※今、猛烈にこのエントリ自体が「ひけらかし」であるような気がしてきてますが…
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